体験談


ひさしぶりに体験談を送っていただきました。
 YNさんは海外で突然糖尿病の宣告を受けられました。そのときの困惑は想像を絶する状況だったと思います。今は大変前向きにがんばられています。
きっとこれからも新しい人生を切り開いていかれることと思います。
貴重な体験談、ありがとうございました。
[平山純二]

糖尿病といわれて
 
                                              Y N (男)
 私は今から約一年ほど前に糖尿病1型と診断されました。

 当時、高校卒業後、ハワイに留学中で、とても有意義な生活を送っていました。その矢先に不幸がふりかかりました。いつもと感じが違う。これが最初に気づいた体の変化でした。毎日の生活がだるく最初は風邪だろうと思ってほっていました。しかし、喉は異常にかわき一日に何リットルものジュースを飲んで 食べても食べても満腹にはならず、それでも友達には痩せてるといわれ、トイレが異常に近くなってきて。。 スターバックスで勉強していても20分おきにトイレにいき、友達のジュースまでももらう始末。 OO大丈夫? 心配すらされました。このことを友達の一人に言ってみたところ ハワイは乾燥してるからやっぱ喉かわくんちゃうんかな〜 と言われ あ〜そうやろな〜 と思ってそのときはほっておきました。

 しかし、やはりその症状は悪化する一方で さすがにおかしいと思い、小さな病院で検査してもらいました。 してもらったのは血液検査、尿検査。どうせ大丈夫やろう! これ終わったらワイキキのバーガーキングで昼飯食べようなんて思っていました。しかし、検査の待つ時間が異常に長い。 なんでやろ? 少し不安になりつつも、大丈夫、大丈夫、と自分の中で言い聞かせていました。しかし、その結果は自分には重すぎました。 医者はなんのとまどいもなく 「糖尿病の疑いがありますね。」 こういいました。
 。。。は?  意味不明でした。このおっさん患者間違えてんのちゃうんかとさえ思いました。結局大きい病院で検査入院とゆうことで意味がわからないまま入院させられました。 その間のつらさは一生経験したくありません。ただ そのとき一緒についてきてくれた子が一生懸命慰めてくれてました。その慰めもあってなんとか重い足どりで大きい病院へと向かいました。
 そこでは わけのわからない点滴や注射を何回もさせられすべてが英語とゆう最悪のなかで時間だけが過ぎていきました。そのときの通訳の日本人の人の態度も異常なほど悪く、もう追い詰められていく一方でした。それからやっとのことで入院室にいれられ一人になることができました。 ちょうどそのとき、自分の親から電話がかかってきました。 鮮明に覚えています。あそこまで泣いたのは生まれて初めてでした。 電話でも言葉がでず一方的にきって ただただ泣くばかりでした。 孤独と情けなさと劣等感でいっぱいでした。
 当時は糖尿病は人にばれるのがいやでしかたがありませんでした。 とゆうのも糖尿病は食べすぎでスポーツもしないで とゆう少ない知識で勝手にそれを恥ずかしいものだと思っていました。 それに今まで健康そのものと思っていた自分が裏切られた感覚でいっぱいでした。 血液なんてサラサラだと思ってたのに。。 退院してそれから自分がこの病気とつきあっていかなければならないと思うと勉強する気もうせて、ほとんどの単位を落としてしまいました。

 それからインスリン注射をはじめ、注射をうつ生活がはじまりました。 しかし、ハワイなどは日本とちがいほったらかしのようでほとんど知識もないまま注射をうっていました。低血糖はもう50回はなってるとおもいます。 ほとんど現実逃避で普通の友達が食べてるものを一緒に時間など考えず食べていました。 友達と同じように過ごせない自分がいやでしかたありませんでした。 そんな生活をずっと送って 無事ハワイでの留学を終え 日本に帰ってくることができました。
 それから病気に対する考えがガラッと変わりました。 まず知識がすごく増えたこと。この病気とどうつきあっていくかなど自分にはいい刺激ばかりでした。
 ある日 某歯医者でこの糖尿病1型だとつたえると 若いのにしんどいね〜 原因はなに? 食べすぎかな などばかにされました。 正直イラっともしました。なぜ 歯医者が糖尿病1型も知らんねん。 と思い悔しい思いでたまりませんでした。 やはりこの病気は世間にもまだまだ知られていないんかーと思わされる瞬間でした。

 話はずれましたが、、、今まではこんな病気はもう最悪でどうすることもできない、いつか病気になるとわかっていて それでも生きていかなければならない いわゆる生きることは悪あがき だとさえ思ってました。しかし、そんなことないと心から思えました。 確かに注射をうたなければならない 血糖値は管理しなければならないなど他の人とは違ったことをしなければならないのは事実。しかし、いろんな人との出会いや自分の成長などいい点がいっぱいあることにきづきました。 デメリットはないとさえ思えるようになりました。 注射うったりするのは悪い点ではなく努力すること。 それにうつことは恥ずかしくないとゆうこと。 
 最初は友達の前でうつのがいやでトイレなどで隠れてうっていました。 しかし、ハワイで初めて友達の前で「これまじだるいね〜ん」とか言いながら注射をうちました。 正直ひかれると思いました。 でも友達らは まじで? どんな感じ? どうゆう病気なん? など聞いてきてくれて、「ほんなら00のためにも今回の休みはカニ食い放題ツアーやな! 栄養満点やし00にもええやろ!」ともいってくれました。 本当にうれしかったです。
 
 そして今 血糖のコントロールも多少乱れつつもコントロールできるようになりました。今思えば当時はまさに 地獄 そのものでした。 でもそれを乗り越えて自分がすごく成長できような気がします。 もちろん自分だけではなく周りのみんなのサポートもあったからですが。
 本当に小さなことでくよくよしている人がばからしく思えるようにもなりました。 生きていることがどんだけ幸せかって身にしみてわかりました。 生きている中で起こるつらさや悩みはすべて自分を成長させる
ものなんですね。全てが希望に変わるんですね。 でも生きていることをやめると本当になにもなくなって希望もなくなってしまう。 当時の自分は確かに 生きることやめよう と思うときがありました。 でも今思えば そのころにタイムスリップして当時の自分をしばきたいと思えるようになりました。
 
 これからも壁はいろいろあるだろうと思います。 それでも無理せず(ある程度の無理は。。)マイペースでがんばろて思えるようになりました。 実際、自分にとってこの病気は今の段階ではまだ感謝できるものではありません。 でもこの病気に感謝できる日がいつかくると思いたいですね。

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