体験談


久しぶりに体験談を投稿していただきました。傷つけられる医師の一言、勇気づけられる医師の一言など、医師としても大変参考になります。彼女は自らの体験を通じて今はカウンセラーを目指されています。応援しています。

2007年9月
        [平山純二]

突然糖尿病と言われて入院、、、

                                            M.N.

 はじめまして。私は去年の年末に糖尿病性ケトアシドーシスと診断された24歳のどこにでもいる女の子です。

 きっかけはエステでやせると言われていた腸運動の機械を試した時だと思います。「喉が乾くので水分とってくださいね」といわれ、私は勧められた通りイオン飲料水を飲むようにしていました。それから一ヵ月半たつ頃にはトイレに30分に1度は行きたくなり、その尿意も普通とは明らかに違うものでした。なんと言うか、もよおすと我慢できない質のもので仕事中失禁しかけたことが何度もあり、恥ずかしい話ですがナプキンをしながら仕事をしたりしていました。

 12月なかば風邪をひいたのですが、いつもならすぐ治るのになかなか治らず、むしろ喉の渇きと目の渇きが悪化しました。もう食物は受け付けません。イオン飲料水では足らず、イチゴミルクや炭酸飲料水などを一日5リットル近く飲んでいました。起きると口はカラカラで閉じるのが困難なほど、目もまばたきが楽にできない程乾いていました。次第に舌が真っ白になり味覚が失われ、唾を出そうと梅干しをなめると真っ赤にはれあがりました。最後にはジュースを飲んだらすぐに噴水のように吐くようになり、意識もフラフラしてきました。

 母が私の顔色を見て「病院にいきなさい!」と怒鳴ったのを覚えています。私は病院に異常な程恐怖心があり、10年以上かかっていなかったのです。母の剣幕に驚き近所の診療所に行くことにしました。22日金曜日のことです。尿検査で糖がおりていて、ケトンが出てると言われましたが、ジュースがぶのみしていた話をすると先生は何故か安堵されました。脱水がかなり進んでいたので点滴をされ血液も一応検査に出すと言われました。「しんどくなければ働いてもいいよ」と言われました。一応先生の指示でジュースをやめ水を飲むようにしました。

 脱水もおさまり吐き気止めをもらっていたので次の日にはお粥を食べられ仕事にも行きました。24日のイブは彼とデートもしました。もうすっかり治った気でいたので。

 25日月曜日、朝一番に診療所から電話があり検査結果をすぐ聞きに来てくれと言われました。診療所につくと先生が待合室まで出てこられみんなの前で「糖尿や!!入院しなあかんわ」と言われたのです。あわてて診察室に入り結果をきくと血糖値700、HbA1cが12ありました。

「生きてるのがおかしい」
「どうして僕とこうやってちゃんと会話できてるのかわからない」
「医者になってからこんな数値はみたことがない」

 近所では有名な評判の良い医師でしたが、私はその言葉と待合室で病気の話をされたことに傷つきました。でも反抗する私に母が呼ばれることになり、年末でもう大病院はどこもいっぱいだろうと中病院を紹介されました。

 もう逃れられないと思いました。医師から言われたことで落ち込み昼食は喉を通りませんでした。たぶん入院だろうと言われたので母と要りそうなものを買い、午後には病院に着き待合室ではずっとうつむいていました。中待合に入ると診察室から明るい笑い声が聞こえてきました。私は病院なんて恐ろしく怖い場所だというイメージだったので驚きました。診察室に入ると若い男性の先生がにっこり笑って座っていました。今の主治医です。私は先生の顔も見ず淡々と話をしました。「今日は帰らせられません」と言われました。その後すぐに動脈採血をすることになりました。私が痛みに弱そうとすぐに気付いた主治医は足のつけねにすると言い「ごめんな、痛いけど我慢してな〜」と優しく緊張をほぐしてくれました。とても上手で痛みはまったくありませんでしたが、結果は軽く酸性に傾いてると言われすぐに別室で点滴をされました。それから4日程は点滴をしていたと思います。

 病気に落ち込み怯える私に主治医は何度も顔を出してくれました。「大丈夫、僕がいるから。簡単に死なさへん」と言ってくれて最初は冷たかった私の態度もやわらいでいきました。最初は一日4回のインスリン治療。空腹時でも300〜400はありましたが真面目に食事を守っていたら2週間後には正常値になっていました。インスリンの量が定まらず入院は長引きました。低血糖も起きるようになるとそれが怖くてたまりませんでした。

 一ヵ月後、主治医が退院の練習にと外泊許可をくれましたが主治医に依存していた私は先生と離れた不安から低血糖でもないのに手足が震えたりし、結局怖くなり早めに病院に帰らせてもらったりしました。主治医とはプライベートな話もできるほど打ち解けていたので、先生も情がうつっていたのかもしれません。「不安がおさまるまでここにいればいい」と言ってくれました。主治医が出張の日は不安から血糖が上がったりし、安定はなかなかしませんでしたが、あまりに先生に依存している自分に気付き入院2ヶ月後退院を希望しました。

 私は退院後は飲み薬になることを期待していましたが先生は注射しかしないと言われました。私にはそれがどうしても受けとめ切れず落ち込みましたが、退院前日主治医が「俺が君と同じ病気になったら絶対自分にはインスリン注射をする。君にはそれくらい最善の治療をしてるつもりやから‥‥信じてついてきて」と言われ、いつもは冗談ばかり雑談ばかりだった主治医でしたが、ずっとついていこうと決めました。退院前にした検査で一生インスリンは必要かもと聞いていたのでショックでしたが一生懸命治療してくれた主治医、栄養士さん、看護師さんに失礼だと思ったので一生懸命治療に専念しました。

 退院してからは不安や心細さがいっぱいでした。まわりの偏見や心ない言葉にも傷つきました。誘惑もたくさんでヤケ食いしたくなる衝動にもかられました。でも私の勝因は入院中に病院を第二の家にしていたことでした。もともとが人懐こい性格なので若者の少ない内科病棟の看護師さんたちは妹や娘のように可愛がってくれましたし、栄養士さんとも関係ができあがっていたのでいつでも寄りやすい状態にありました。中には個人的に友達になった人もいましたし。主治医とは兄妹のような、親友のような関係になっていて、お互いプライベートな話も気軽にできるほど打ち解けていました。だからつらくてたまらない時はみんなに頼り支えてもらいました。病気ごと私を受け入れてくれる場所‥‥それが私にとっては病院であり今でも一番心が落ち着く場所です。

 退院して2ヶ月でインスリン注射は必要なくなりました。一番多い時は64単位一日に打っていたのにうそみたいです。5ヶ月後にはHbA1cが5.7になり今は5.5をキープしています。婦長さんも主治医もみんなすごく喜んでくれました。今も注射は打っていませんが主治医の指示で毎日2回は測っています。

 退院してしばらくして病院で友達になった人は私と同じ病気でした。でもその方は1型で主婦の人だけどすごく落ち込んでしまっていました。彼女は彼女の主治医とあまり相性が良くなかったのか退院してから鬱病になってしまいました。異常な程潔癖に食事を守ったり、死にたいと言ったり毎日安定しませんが、彼女の力になりたくて頑張っています。

 糖尿病は偏見や誤解の多い病気です。糖尿病から鬱病になる人はとても多いらしいです。私も今の主治医に出会えなければきっとなっていたかもしれません。私は病気になったイライラを家族や彼氏にぶつけてしまったりもしました。自分の体が思うようにいかなかったり、気持ち持て余したりして。でもきっとこれは病気なった人しかわからないと思うけど、私のまわりには理解しようとしてくれた人がたくさんいました。病気も含めた私を愛してくれた家族、彼氏にも感謝しています。

 糖尿の治療はちゃんとしないといけない反面、頑張りすぎちゃう人がいるのも事実です。だから私は主治医と150点のあと急に50点になるなら70点キープを目標にしています。たまには自分にご褒美あげて週に一度は好きなものを食べるとか、たまには思いっきり買い物にいくとか、自分を休ませてあげないと精神的に壊れてしまうと思います。皆さん頑張ってる自分をほめてあげてくださいね。毎日一生懸命見えない敵と戦ってるんだから、そうやってパワーためなきゃ乗り切れません。

 病気は苦い経験だったけどかけがえない体験ができたと思っています。生涯お世話になりたいと思える主治医とも出会えました。死ぬかもしれないとなった時、生きたいと思いました。私にとってその時主治医や看護師さんたちは太陽でした。そして私は今誰かの太陽になりたいとカウンセラーを目指しています。自分のように病気で苦しんでいる人が少しでも元気になる手助けができればと思っています。

 一番落ち込んだ時主治医に言われた言葉を今もずっと言い聞かせています。「今の医学では治らないけど、この病気にはかなり力を入れて研究がすすめられてる。いつかいい薬が出て完治する時代がくるかもしれない。その時少しでもベストな状態でいれるよう今から頑張ろう」。まだまだ先は長いですが病気をもっていても明るく前向きに生きていたいと思います。病気は嫌だけどこの病気を通して与えられた大切な人たちは生涯の宝物です。


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