体験談


女性の方から体験談を送っていただきました。ペンネームは「一期一会」さんです。現在結婚され、お子様もおられます。この体験談を拝見すると周りの理解が如何に大切であるかがよくわかります。最後の方にでてくる今の職場の上司の方の行動には本当に感激しました。
2000年3月
        [平山純二]


私の九死に一生

                                            一期一会

 10歳の時 体のだるさ、喉の渇きなどの症状が出始めた頃、学校の尿検査で糖が異常に出てるといわれすぐ入院。1日1回のインスリン注射を始めました。今のように使い捨ては無く、鍋で煮沸し打ってました。私の両親は糖尿病の知識も無く、周りからの情報など一切入らない上、私の病気の事でたくさんの批判もあり暗中模索で辛かったと思います。「あれは、食べるな!」「この良いせんじ薬を飲みなさい!」など。その頃から、インスリンは良くないときいてきて打たなくなりました。今では考えられない事ですが、高血糖の症状は明らかにどんどんひどくなり、6年生で体重は22キロに落ちてしまいました。もともと痩せてたけれど.........
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 私の『九死に一生』というのは、、、、、、以前からよく熱を出し扁桃腺が腫れて慢性化してたので手術をする事になりました。糖尿のコントロ-ルも良好でないのに(医者にも告げてたんですけど.........)入院はせず手術。術後帰宅し 何も食べれないので少しアイスクリームを食べ、次の日その病院で、私が何も食べれないという事でブドウ糖を2本打たれました。それから意識がもうろうとし、歩けなくてその後は何も、、、、、。扁桃腺の切口は出血し、先生の白衣は真っ赤に染まり、ひきつけて口を開けないので無理やり器具で開けたそうです、それから 他の病院に転送され、もう「死」を宣告されたらしいです。その時血糖値は、1000少しあったそうです。今晩がヤマっていわれ、体は冷たくなり爪も真っ白だったそうです。奇跡が起こり、少しずつ血圧が上がり、4日間意識不明の後、先生看護婦家族の願いが叶い、徐々に回復しました。

 4ヶ月の入院生活を送り、インスリン、カロリーなどを勉強し、サマースクールも参加しました。「皆同じ病気の人なんだ........なんでこんなに明るい人ばかりなの?」って。でも私も、病気っていうわだかまりが少しずつ消えていったような思いは今も鮮明に記憶に残ってます。
 

 発病して、なんか早いもんですね。我ながら良く此処まで無事だったことが不思議な時もあります。インスリンは、1日4回打ってます。20歳のころは2回だったのですが、どうもコントロールがうまくいかなく、22歳の時自主的入院し、持続注入器を着ける事になりました。それで安定し、2人目を出産し、しばらくして4回打つ事になりました。女として、出産は母になれる喜びがありました。でもそれ以前、私は「糖尿は昔から赤ちゃんを産めないから、結婚は出来ない」と言われ聞きたくない言葉でした。その時、私は「必ず2人は産んでやる。見返してやる。糖尿病は普通の人と代わらない!」そう思いました。「なにを言われようが結果を見てろよ!」って。 、、その前に相手見つけないと............

 今、発病して27年を迎えようとしてます。いまのところ合併症も無く、娘は今年中学生、息子は5年生。子供は私の事をよく心配し、「お母さん、願いが叶うとしたら病気治したくない?」と聞きますが、「病気と思ってないし、働けるし、話せるし、綺麗なもの見れるし、御蔭でたくさんの友達出来たから良かったよ」って。私一生の宿業を与えられたのかもしれない。そう思うと何も怖くないし、とにかくセルフコントロールしかないですね。

.話は行ったり来たりですが、就職の面接の時の話ですが、、、。.夢は看護婦になりたい、でも糖尿病を隠すわけいかないし、担任から「内申書に書いときます」と言われ拒否出来なかったです。なぜならば本当だから.、、、、、。.ならば医者はどう出るか私にとって賭けのような、そんな気持ちで面接をうけました。面接を受けたとき、案の定「病気の人が病人を診られないですね」といわれました。その言葉に何も反論出来ず、1番弱いところですよね、事実とても体力使うから、、、、。

 次に 受けたのは一般事務。その時は隠そうと、、、、、。何故悪い事してないのに、、、、でもそうするしか働けない。結果は合格。働いて間もなく、通院で遅刻した時、これ以上隠す訳にはいかないと話したら、すぐに上司に「内科に行き、なにかあったら辞めてもらいます。」と宣言されました。先生も食って掛かってくださり、6年間、意地でも長女が生まれる1ヶ月前まで働きました。その前に、不運にもその上司は糖尿病でげっそり痩せ退職しました。

 人間って解らないものですね。元気なときは病気の人のことなど理解できないんでしょうか?たまたまその人は心の狭い人だったのでしょう.......。.世間では無病息災というけれど 「一病息災」でもいい、そのほうが気を付けて毎日過ごせて、いろんな事に感謝感動、反省ができ
充実できます。病気のある人に限らず、辛い思いを乗り越えてこそ、人の立場になって考えれると思います。患者さんの中には、失明、透析をうけてる方、たくさんいらっしゃいます。私が偉そうに言える立場ではないですが、命のあるがぎりがんばって下さい。同じ病気の友として応援しています。生かされてることに感謝して1日1日大切に悔いのないように。
 
 

 私が今働いている職場での話です。台風の影響で鉄骨が倒れて負傷者をだすという大事故がありました。私も出勤していて、朝、部品が濡れてはいけないのでバタバタ動き、少し低血糖の症状があったので砂糖水を作り、飲んだのです。それから、どんどん水が溢れ外には出られない状態になり、悪いことに私のインスリンをおいていたロッカーは鉄骨が倒れた場所。昼を過ぎても出られなく、不安になってきました。「インスリンが打てない、何時になったら、、、、」、そう思うとなんだかどんどん血糖が上がって顔は紅潮し、鼓動は激しくなり、一刻でも此処から出してって感じでした。訳を言ったら上司が、胸まである洪水の中40分かけて歩いて正門まで、そして病院までインスリンを取りにいってくださいました。打って安堵で、スーとなんか楽になったような気は、今も忘れる事が出来ません。以前から私にとってインスリンはお守り?みたいなところがあり、何処へ行くのも肌身はなさず持ち歩いてました。早くロッカーにとりに行っとけばと後悔しましたが、「早くインスリンを」って思いで一杯でした。何より上司には、(彼も軽い糖尿病ですが、)此処までしてくださったことを本当に感謝しています。
 

 同じ立場、辛さ、戦いを分かち合える人、頑張りましょう。ここの「糖尿病サロン」体験談、見させて頂きました。同じ悩み葛藤共感します。私の体験談で良かったら何か少しでも励みになればと思います。
 


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